海運倉庫が生まれ変わった複合施設
尾道水道に沿うように建つ海辺の複合施設、ONOMICHI U2。
1943年に建てられた倉庫を再生したインダストリアルな空間の中には、ホテル、レストラン、カフェ、ベーカリー、ライフスタイルショップ、サイクルショップなどが入っている。「U2」という名は、海運倉庫だったときの「県営上屋(うわや)2号倉庫」のイニシャルから。施設の海側には、人々が自由に行き来できるウッドデッキが整備され、地元の人から観光客まで、思い思いに過ごす人の姿も多い。
「私たちはここを、パブリックでオープンなスペースだと捉えているんです」。そう話すのは、ONOMICHI U2の支配人を務める井上さんだ。
導かれるように故郷のホテルへ就職
井上さんは尾道市出身。生まれ育った実家は、ONOMICHI U2の近くにあると教えてくれた。JR尾道駅の西側に広がる海岸沿いは、かつて倉庫街だったそうだ。「小さいころは近付かない場所でした。この10年で、まさかこんなに気持ちの良い場所になるなんて」。
大学進学とともに関西へわたり、発展途上国の支援について研究。そのかたわらNGO団体に所属し、学生時代にインドネシアなど海外での活動も経験した。就職活動の折、フェアトレード製品を扱う企業を探していて出会ったホテルは、なんと自身のふるさと、尾道にあった。
人々が行き交う 「ちいさなおのみち」
ONOMICHI U2のそばにあるのは、穏やかな波のたゆたう海や、たまに飛び跳ねる魚、対岸に見える造船所の景色。そして施設に足を踏み入れると、木材やモルタル、鉄骨などの素材や路地みたいな通路、立ち並ぶさまざまな店舗など、まるで尾道のまちを再現したかのような空間が広がる。ホテルやショップの中には尾道の茶園文化や、備後デニムの素材やフェアトレード製品も溶け込んでいる。
本当に、不思議な場所だ。
サイクリストや観光客もいれば、地元の人、学生、海外の旅行者が行き交っている。ここで働くスタッフも、さまざまな背景を持った人が集まっている。井上さんはスタッフたちの「挑戦してみたいこと」や「夢」をヒアリングしながら、一緒に実現を目指している。
訪れる人を受け入れる自由な場所
ONOMICHI U2は、なにも大人だけの施設ではない。「教育や福祉面においても、この施設でもっと担えることがあるはず」と、小学生が尾道のまちについて詠んだ俳句の展示や、授業で児童が作った観光客向けフリーペーパーの頒布などを行う。
ほかにも施設では年間に多くのイベントや商品企画を打ち出しているが、どうしてもアイデアが浮かばないときがある。そんなときは仕事を抜けて、気晴らしに尾道のまちを歩くのが、井上さんお決まりのパターン。
「ONOMICHI
U2で働くようになって、まちに知り合いが増えました」。井上さんだって地元の人なので意外にも感じるが、巡り巡って、この施設が地元に根ざして成長を続けている証左でもあるだろう。
「これからも瀬戸内の十字路に位置する施設として、“古いものの価値”と“新しい尾道らしさ”の魅力を発信し続けたい。活かしながら残すこと、そして尾道の文化を紡ぐことで、未来に向かって新しい価値を創造していきたい。」
開かれたまちのパブリックスペースは、多様な人や物を受け入れながら、明日へと文化を継承していく。