憧れていた島で
暮らすという選択
何回も訪れるたくなるような、大好きだと思える場所はあるだろうか。そこに住んでみたいと思ったことはあるだろうか。
26歳のときに鹿児島県から因島へ移り住んだ柏原さん。現在は子育てをしながら事務員として働いている。「因島が大好きになって移住した。だから今、自分が因島で暮らせていることがなによりの活力」と顔をほころばせる。
住んでいる家は海の近くで、窓からは瀬戸内海が見える。朝日でキラキラと光る海を眺めながら、柏原さんは毎朝家族のお弁当を作っている。
未知だった島が
かけがえのない場所に
柏原さんが因島を知ったきっかけは、ロックバンド「ポルノグラフィティ」だった。因島は彼らの出身地。ライブでのMCや歌詞の中に島の地名や情景が登場するため、ファンにとって憧れの島だ。4thシングル「サウダージ」を聴いた柏原さんは、ボーカルの哀愁漂う声に心を奪われて以来バンドのファンを続けている。
初めて島を訪れた日、因島大橋をバスで渡ったときの感動は今でも忘れられない。車窓から見える瀬戸内海の絶景と、海に囲まれた因島。うれしくて、涙がこぼれた。それ以来、8年で30回近く島を訪れたというから驚きだ。何度も通ううちに友達ができ、通う店の店主とも仲良くなった。因島は、柏原さんにとって「かけがえのない場所」になっていった。
自分で見つけた
第2のふるさと
とはいえ、初めて島へ渡ろうとしたときには苦労があった。泊まる場所はあるのか。どこで遊んだらいいのか。当時は情報や発信が極端に少なかった。そんな思いから、柏原さんは来島のたびに風景写真や情報を発信。すると、SNS上でつながっていたバンドのファンに喜んでもらえた。それまでは行きたくてもなかなか行けなかった島が、ファンの間で身近な島になっていった。
「通うより安いから」と移住を決意した柏原さん。実際、島で生活してみると楽しかった。島民ともどんどん顔なじみになり、縁あって事務員の職も得た。ある日、島内の同じイベントに参加していた因島出身の男性と出会い、結婚。子どもにも恵まれる。「因島で大事な友達ができた。大切な家族もできた。ここは第2のふるさと」。
因島のあたたかさを
子どもにも伝えたい
自然の中でのびのびと子育てができるのも、出産を経て気付いた島の魅力だ。すれ違いざま、「かわいいね」と娘をあやしてくれる島のおじいさん、おばあさん。地域ぐるみで子どもの成長を見守ってくれる風土があたたかい。「自分が愛した島の風景を娘にも見せてあげたい。島に住む人達ともこれからたくさん触れ合って、因島を好きになってほしい」。こうして親子と島の物語は紡がれていく。
生活環境を変えるのは簡単なことではない。しかし、「好き」を動機に生き方を選ぶのもそう悪くはないのかもしれない。生き生きと暮らす柏原さんの姿には、因島の魅力がそのまま反映されている。