そこに住む人の「暮らし」に寄り添う
家は、住む人の暮らしに呼応して育まれていく。そこに住まう人たちが、家に少しずつ変化をもたらしていく。地域にも、これと似たようなことがいえるかもしれない。人々の営みによって、まちは作られていく。
そんな「暮らし方」を建築の手法で提案しているのが、設計デザイン工務店・國本建築堂の國本さんだ。事務所は、尾道市西久保の坂の途中にある。2024年には同敷地内に、人と人が集い交わる場「ヒトトマ」をスタートした。シェアキッチン、ギャラリー、宿泊施設で構成される空間に、同じ食卓で同じ食事を楽しむ人々の未来を描いている。
國本建築堂には2023年ごろから、県外の人からの移住相談が多く寄せられるようになったという。尾道生まれの建築家が見つめる家づくりと地域への想い、そしてその背景、展望について聞いた。

暮らしを豊かにするものづくりは
幼少期から
4人兄弟の次男として生まれた國本さん。山や田を駆け回って、野草をとったり川でフナやハヤを捕まえたりと、子どものころは冒険の毎日だった。そして休日には、父のもとで道具を作ったり家の壊れたところを直したり。
「父はとにかく創意工夫する人でした」。父の背中を見ながら技法を盗み見て、國本少年は遊びに使う剣や駒、竹とんぼなどを自作していた。
そしてものづくりは、徐々に進化していく。自分が受け持っていた家の仕事…たとえば、飼っていたうさぎに食べさせる雑草を切るための木製ナイフや、アサリの貝殻を砕くためのハンマーなど、暮らしにまつわる道具も自作するようになっていった。今につながるものづくりの一面が垣間見える。

東京で刻まれた衝撃、
そして建築の道へ
中2の頃に家族で初めて訪れた東京で、國本さんは強烈な衝撃を受けた。高層ビルが立ち並ぶ街並み、たくさんの人々から成る営み。東京は、故郷では見ることのできない景色にあふれていた。
「まだ人がまばらな早朝のビル群に朝日が差し込み、街にどんどん活気が生まれていく様子を、無心で見つめていました。不動の無機物に対して、自然の光や人の営みが起こしていく変化…。そんな様子に、ひどく心を奪われたんです」。暁の空のもと目に映ったものは、「建築を学びたい」という國本さんの思いを強く突き動かした。
その後、晴れて建築科のある高校、そして神戸の建築学校へ進学。望んでいた業界にどんどんのめり込み、やがて独立。「暮らしのコトづくり」を提案する建築家として、まちづくりに携わるプロジェクトの主宰者として、幅広く活動するようになった。


場所づくりを通して
まちの変化を見つめていきたい
國本建築堂が主宰する「ヒトトマ」には、多彩なジャンルに関わる方から問い合わせが入るという。
「人々が集まり、交流することによって起こるまちの変化を見てみたい。この空間が、常になにかを“育む場”になればと願っています」。もともと家を建てた先にある「暮らし」に興味があったという國本さんの目線はいま、地域に対しても向けられる。
接点のなかった人同士が出会い、点が線になって、有機的につながっていく。そうして生まれたたくさんの線。これらが織りなすまちの変化を、今日も國本さんは見つめている。
