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尾道が誇る特産野菜の守り手 わけぎ農家

Yutaka Nishimoto

JA尾道市わけぎ部会副部会長

広島県廿日市市生まれ。大学中退後、直感で農業の道を志し、滋賀県にあるタキイ研究農場付属園芸専門学校へ進学。卒業後は京都にある農業生産法人で経験を積み、同僚だった真麻さんとの結婚を機に広島県へのUターンを決意。2021年1月に岩子島へ移住し、同年8月よりわけぎ・トマト専業農家へ。夫婦とねこ2匹暮らし。

瀬戸内に浮かぶわけぎの

尾道市街地から向島に渡り、凪いだ海を眺めながら西へ。見えてきた赤い橋を渡ると、岩子島(いわしじま)に辿り着く。まっすぐ坂を下っていくとやわらかい陽の光に包まれた畑と海が目前に広がり、のどかな島にやってきたことを実感する。

信号機も横断歩道もないという岩子島は、「わけぎ」の一大産地。尾道といえばレモンなどの柑橘類をイメージする人も少なくないが、島内を少し巡っただけで、わけぎ畑の多さに気付くだろう。

西本裕さんは、2021年1月に県外から岩子島に移住。現在は妻の真麻さんと共に、わけぎとトマトの専業農家として暮らしている。

直感が導いた農業への

大学3年の秋、出口の見えない閉塞感の中にいた西本さんは大学を中退する。そしてある日本屋で見つけたのが、農業に関する1冊の本だった。「これかもしれない」という第六感を頼りに、滋賀県にある農業・園芸の専門学校へ。

自然との向き合い方を体で学んだ2年間だった。台風の夜には学生総出でビニールハウスを守った。凍てつく冬の寒さに当たったキャベツの甘さは今でも忘れられない。実家は一般的なサラリーマン家庭。しかし西本さんは「体を動かし、土に触れることは肌に合っていたみたいです」と笑う。専門学校卒業後は、京都の農業法人へ就職。西本さんは、本格的に農業への道を歩み始めた。

岩子島との出会い

農業界には、雇用就農や独立就農、支援職などさまざまなキャリアが存在する。農業法人で7〜8年経験を積んだ西本さんは、パートナーの真麻さんと共に、広島県への帰郷、農家としての独立など次の一歩を模索していた。

転機は、オンラインで参加した移住相談イベントで訪れる。尾道市の移住担当職員だった倉田さんとの出会いだ。「実家が岩子島で農家をやっています。よかったら見に来ませんか」。

生まれて初めて岩子島を訪れてみると、わけぎ専業農家が想像以上に多いことに驚いたという。ある農家は、「わけぎのおかげで大学まで行けた。今は自分の子を大学に行かせている」と語る。農業が地域の産業としてしっかりと根を張り、農家の生活が堅実に成り立っている。

なにより農家たちが皆わけぎに熱い想いを持つことが伝わってきて、「この地」で「この作物」を作ることの意義をビシバシと感じた。ほしかったのは、地域と生きがいとの接点だったのかもしれない。島を訪れて2か月後、西本さんたちはわけぎ農家としての新規就農を決意していた。

地域とともに、未来へ

岩子島のどこが好きか。西本さんは「人」だと即答する。ベテラン農家たちは「私らの頃はこうだったけれど、今は今の人のやり方があるからね」と、若手農家に選択を委ねてくれる。畑の端で交わされる農家同士の何気ない雑談。その風景の一部に溶け込めていることが、彼の誇りだ。

そして今、岩子島は継ぎ手不足からわけぎ産地存続の危機という大きな課題を抱えている。「尾道が育んできた大切な地場産業は、絶対に絶やしたくない」と西本さん。楽観視はしていられない。西本さんたちは先を見つめ、新しい仲間を増やすことにも力を注ぐ。

収穫を終えた畑は、一旦まっさらになる。10年後も50年後も青々としたわけぎ畑の風景が変わらず続くために、島の農家たちはまた、次の種球を畑に植えていく。

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