国産レモン発祥の地、
瀬戸田産レモンの今昔
「一度は走ってみたい」と、国内外から多くのサイクリストが訪れるしまなみ海道。瀬戸内の多島美を眼下に臨みながら自転車を走らせると、しまなみ海道の真ん中にある生口島にさしかかる。生口島は、レモンの島。町の中心部にあるポストや橋はレモン色、街路樹にもレモンが植えられている。
今でこそ国産レモンの代表格として親しまれている瀬戸田産レモンだが、外国産レモンが主流となった昭和時代から10〜20年ほど前まで、その価値は決して高くはなかった。
そんな瀬戸田産レモンの価値を高めるべく、奔走した人がいる。瀬戸田町に本店を構える洋菓子店「島ごころ」の代表、奥本さんだ。
お菓子作りの「なぜ?」を
解き明かしたかった
瀬戸田町出身のパティシエである奥本さんは、瀬戸田産レモンを使ったレモンケーキを開発し、販売している。果汁ではなくレモンピールをふんだんに使った「瀬戸田レモンケーキ」は、風味や香りが楽しめる。今や生口島の代表的な土産品として人気を博している。
母の影響で始めたお菓子作り。家には材料が常にあったため、自分のおやつを自作する小学生だった。
「チョコレートが固まるのはなぜ?」
「シュークリームが膨らむのはなぜ?」
奥本少年にとって、お菓子作りは未知の科学。積み重なった「なぜ?」を解決したい、自分の作ったお菓子で周りの人を笑顔にしたい――。そんな想いから、パティシエの道へと足を踏み出した。
厳しい製菓修業を経て
地元で洋菓子店を開業
製菓専門学校を卒業した奥本さんは、国内洋菓子の発祥地である神戸で8年ほど修業を積んだ。「お客様の喜ぶ顔を間近で見たい」と考え、2008年地元・瀬戸田町で小さな洋菓子店「パティスリーオクモト」を開業。2016年には「島ごころ」に名称を変え、オーナーパティシエとして経営や営業、製造、広報、マネジメントを担っている。
奥本さんが取り組むのは自社経営だけではない。中学校のPTA会長をはじめ、実にさまざまな地域団体の役職を兼任しながら、イベントの開催、小・中・高校との連携事業など多岐にわたる活動に従事。レモンケーキをひっさげて、海外のワークショップにも参加しているというから驚きだ。
“地元の人がこの町を誇れるように”。奥本さんは、メッセンジャーとして世界に向けて瀬戸田の魅力を発信している。
地域課題に挑み続ける
瀬戸田のパティシエ
今や「島ごころ」の看板商品となったレモンケーキについて聞いた。「ただ食べてほしくて作ったわけではない。島の想いを届けたい一心なんです」。このレモンは一体何を伝えたいんだろう。レモンケーキの開発は、レモン畑に何度も足を運んで農家との対話を重ね、一つひとつ謎を紐解いていく作業だったという。
地域にも同じことがいえるかもしれない。店の撤退や人口流出でどんどん枯れていく町がある中、住みたいと思える町にするには何が必要だろう。
お菓子作りの不思議を解き明かそうとした奥本少年は、成長して地域課題を見つめ、そして解決の糸口を探している。次世代へとたすきをつないでいけるように、今日も奥本さんは瀬戸田と世界を走りまわっている。