「なんとなく」が導いた
ひとつの選択
ひとつの
人生の節目に住まいを移すことは多いかもしれないが、移住の背景にあるのは大きなターニングポイントだけではない。吹いてきた風や潮の流れに身を委ね、移り住まう人もいる。
因島で暮らす島田さんは、人気ロックバンド「ポルノグラフィティ」のライブ中にふと、「因島に行ってみようかな」と思い立った。移住に対するハードルや不安は、不思議と感じなかったという。それはまるで潮が満ちるように、自然と心が因島へと動いたのだった。

偶然出会った仕事のやりがい
2020年3月、ほぼ無計画のまま島に移り住んだという島田さん。因島商工会議所に内定し、出会った人の縁から家を決めた。
現在、仕事では小売業を中心とした商業振興を担当している。経営相談、融資や補助金の支援、確定申告の受付、商店街の活性化、イベント運営と、見るべき範囲は実に幅広い。
ある日、島田さんがサポートした小売業者の商品が、県内のとある売上ランキングで2位になったことを知った。因島からでもトップ層に食い込むことができるという喜び。1位との差を見つめながら、島田さんは「次は何ができるだろうか」と思案する。
自称、"飽き性"。しかしそれは、変化を楽しみ続けられるということでもある。偶然つながった縁だが、この仕事は島田さんの性質にピタリとハマった。ルーティーンではない毎日は、彩りに充ちている。

毎日は気の向くまま。
手の届く幸せを大切に
手の
細い路地がどこへつながるのかを楽しみ、潮の香りに誘われて海辺で立ち止まる。目的を決めないまち歩きは、島田さんの生き様にどこか似ているようだ。
移住すると「何を為しにやってきたのか」と問われる場面も多い。確かに顕著な活躍で注目される移住者は少なくないが、誰もがそうでなければいけないのだろうか。
島田さんは、目の前の偶然を前向きに受け入れている。そして自分らしく地域に根を伸ばすしなやかさで、淡くも確かな幸せを生活に見出している。彼の姿を見ていると、こうして営まれる「当たり前の暮らし」が、地域を支えているのではないかと思わされるのだ。

フロントで活躍する
プレイヤーを支えたい
プレイヤーを
因島は造船のまちとして栄えてきたが、大手造船企業の撤退によって数千規模の退職者が生まれた。「当時、"沈みゆく島"なんて紹介されたことがあったらしいんです」。そんな歴史を振り返りながら、将来的にはもう2〜3つ、因島に基幹産業の柱を立てるのが目標だと島田さんは話す。
実際、島田さんの目には可能性の光がいくつも映る。若手農家が手掛けるブランド柑橘や、聖地を支える喫茶店、移住者たちの活動。そうした情熱的なプレイヤーたちを純粋にリスペクトできる彼のフラットな視線が、島に新しい風を通す手助けをしているのだろう。
誰かの船頭になるよりも、誰かの背中を支える船乗りでありたい。島田さんは今日も自分のペースで歩みながら、因島での暮らしを楽しんでいる。









