山の斜面に広がる
ノスタルジックな風景
JR尾道駅の裏手に、小高い山がそびえ立つ。急な斜面地には、明治から昭和にかけて建てられた寺や屋敷、古い住宅が折り重なるように点在している。ここには、ノスタルジックな風景が今も残っているのだ。
ただ、高齢化とともに多くが空き家になり、老朽化が進んでしまっていた。尾道固有の風景を守るため、約150軒の空き家を蘇らせた人がいる。尾道空き家再生プロジェクトの豊田さんだ。
「移住したい」
100人から問い合わせが殺到
尾道で生まれ育った豊田さん。大阪で旅行会社の添乗員として世界各国を駆け回っていたが、2002年にUターン。ある日、空き家になっていた歴史ある住宅が取り壊されるかもしれないと聞き、「壊すくらいなら、私が買って修復する」と即座に200万円で購入。すべては、そこから始まった。
「移住したい」「空き家を紹介して」。空き家を改修する様子をブログで発信していると、全国から問い合わせが殺到。その数は1年で100人ほどに上った。「100人が1軒ずつ空き家に移住してくれれば、100軒の空き家を救えるんじゃないか」。そう思った豊田さんは、2008年に尾道空き家再生プロジェクトを立ち上げ、翌年には市の空き家バンク事業を受託し、空き家の所有者と移住希望者など借り手とのマッチングを行うようになる。
風景だけじゃない。
まちの活気が人を呼ぶ
そうして豊田さんらが手掛けた再生物件は約20に上る。山の上に建つ築100年の木造建築物を改修したゲストハウス「みはらし亭」や、子連れママサロンの「北村洋品店」、さらに商店街にもゲストハウス「あなごのねどこ」をオープン。どれも手弁当の有志やボランティアの力を借りながら、一緒につくり上げてきた。さらに、空き家バンクで再生した空き家も約150軒に。若者が新たに飲食店や雑貨屋をオープンさせたり、移住してきた子連れ家族が住みつくようになった。
ただ、「いくら空き家がたくさんあっても、尾道に魅力がなければこんなに人は来てくれないはず」と豊田さん。昔ながらの風景も魅力だが、尾道に暮らす人たちの熱量や、移住者の活気がそれに輪をかけ、外から続々と人が舞い込んでいるのだ。
子どもたちに伝えたい。
尾道暮らしの豊かさを
豊田さんが、空き家再生の先に見据えるもの。それは、尾道で長く営まれてきた暮らしの歴史や文化を丁寧に紡ぎ、後世にわたってずっと残し続けていくことだ。
小さい頃から、狭い路地を歩き回ったり、近所の空き家にこっそり忍び込んだりするのが好きだったという豊田さん。今考えると、それが原体験だったのかもしれない。だからこそ、「子どもたちに尾道で暮らすことを誇りに思ってほしい」「一度外に出ても、『また帰ってきたい』と思えるような場所にしたい」と願っている。
どんなにグローバル化が進み、テクノロジーが進化しようとも、尾道は世界のどこにもない固有の暮らしや文化を、これからも育んでいく。