瀬戸内海の交易を支えた“しおまち”の港
生口島の北西部、島の玄関口である瀬戸田港のほど近くに、しおまち商店街はある。この一帯は古くから潮待ちの港として栄え、人や物が行き来する交易の拠点だった。
「小さいころ、港へ船がやってくるたびにたくさんの人が島に降り立ち、商店街は自転車が通れないほどの賑わいだった」。そう語るのは、「しおまち商店街の輪」の会長を務める、瀬戸田生まれの山口さん。商店街で60年以上続く家業の食事処を営みながら、まちづくりの中心メンバーとして活動を続けている。
Uターン後の苦悩と不安
野球少年だった山口さんは、スポーツ推薦で高校、大学へと進学。さらに県外で就職したため、地元で過ごした時間は短く、「しまなみ海道ができると地元が盛り上がっているときも、どこか他人事で」と振り返る。そんな折、母の要望もあって30歳のときに瀬戸田へUターンすることになった。
「でも、地元なのに全然知り合いがいないんです。何ができるというわけでもなくただ自信をなくして、帰ってきてしばらくはつらい時期が続きました」。
その後、商工会青年部の部長に就任。そして初めて、地域行事を取りまとめる苦労を知る。行事が開催されるのは、当たり前のことではない。試行錯誤しながら、表には見えない細かな段取りや、関連団体との交渉を経験した。
瀬戸田の未来を考えたワークショップ
そんななか、商店街に高級旅館がやってくるらしいという噂を耳にした山口さん。自分たちのまちを守りたいという思いから商店街の会「しおまち商店街の輪」を結成した。「黒船がやってくると思いましたよ」と、当時の不安や葛藤を語ってくれる。
地域に過渡期のタイミングが訪れる──。2019年には、瀬戸田の活性化をめざしてまちづくり計画や方法を学ぶワークショップがスタート。商店街からもメンバーが参加し、島外からやってきたまちづくり団体とともに3年間、瀬戸田のことを真剣に考えた。「みんなでする瀬戸田の未来の話、まったく飽きなかったです」。
こうして外から入ってくるものをひたすら警戒した時期を乗り越え、双方の間にそびえていたかのように感じた壁は、いつの間にかなくなっていた。
先人から受けたバトンは次世代へ
「若手が生き生きとイベント準備に奔走している姿を見ると、どうしようもなく嬉しくなる」と顔をほころばせる山口さん。年齢を重ね、経験を積んできたベテランたちがどっしりと構えて、若いプレイヤーの新鮮なアイデアを見守っている。先人たちが脈々と耕してきた土壌があるからこそ、その豊かな土の上には新しい芽が育つのだろう。
まちづくり団体、地元の人、観光客、行政…。それぞれの立場で、みな地域のことを考えている。ときに膝をつきあわせて語り合いながら、地域の文化は次の代へと紡がれていく。