漁師町に創業した 餅屋のストーリー
時は昭和38年。尾道の漁師町・吉和の一角に、小さな餅屋が創業した。米袋いっぱいにつめた手作りの餅を、地域の青果市場や魚市場に卸してまわる。
店舗経営ではなく卸売を生業として始まったその商店は少しずつ事業を発展させ、餅菓子にとどまらず和菓子の製造・販売をスタート。現在は3代目である山本浩矢さんが代表を務め、国内だけでなく海外にも、日本の和菓子を届けている。
故郷へ戻る前に異業種で経験を積む
山本さんは、尾道で生まれ育った生粋の尾道っ子だ。小学校から帰ると、家の隣にある工場に「ただいま」を言いに行く。幼少期から親が働く姿を間近で見つめてきたため、家業を継ぐことになんの疑問も持たなかった。「中学校の卒業アルバムにも『家を継ぐ』と書いていました」と笑う。
とはいえ、ほかの業界も経験してみたいとの思いから、大学卒業後は大阪にある家具の量販店に就職。配送、店舗、店長代理などさまざまな経験を積み、同期入社の仲間たちと切磋琢磨しながら働いてきた。「すぐに家に入らず、外での経験があって本当に良かった」と、山本さんは振り返る。
大切なのは人を育てていくこと
結婚して子どもに恵まれ、1998年に尾道へUターン。その10年後には父から代表を引き継ぎ、3代目としての挑戦が始まった。
代表就任直後から山本さんが注力しているのが、新卒採用だ。20年前までは100%中途採用だったというが、「これからは人を育てていかないといけない」と一念発起。採用や人材育成にはどうしてもコストがかかるため、これは大きな経営判断だったことがうかがえる。
次世代を育てることが尾道への恩返し
「もっと仕事の楽しさを知ってもらいたい」。社員が描きたいキャリアに応じて、その近道となるようなチャンスの提供を惜しまない。たとえば、パート入社した女性社員が、現在は取締役として活躍している。一緒に歩む社員と肩を並べ、山本さんは共に経営を見つめている。
地方では今もなお、地元に定着する若者の減少が叫ばれている。しかし山本屋には春になるたび、市外、県外から入社希望者がやってくる。こだわりの和菓子を全国に卸すことことで、山本屋は尾道という町の存在を発信しているのだ。
「生まれ育った大好きな尾道に恩返しがしたい」。山本さんは雇用の創出を通じて、地元の活性化を願っている。